○訪問期○ 月日は経って、2009年1月、今年が彼らが結成20年を迎える年になるのは承知していた。私がMySpaceに加入していたことを知ったTorbjornは、同サイトを通じて久しぶりに連絡をくれた。再び彼との頻繁なメールのやり取りが始まり、さらには彼がメインに使用していたプロモート用のSNSサイト、Facebookへコンタクトの場を移して、他のメンバーとの交流も完全復活した。
写真見るだけで汗が(^^ゞ
Torbjorn Dybsand Torbjornは車で私とOrimuhさんを一時間ほど離れた街、Hamarの近くRingsakerの自宅まで連れて行ってくれた。暗闇の中の街ははっきりとは見えなかったが、それでも広い空間は認識できて、きっと美しい街なんだろうなと思わせた。この街でブラオーが誕生したんだと思うと、表現しきれないほどの感激に襲われた。この時点ですでに舞い上がっているから、時差ボケはまったくなかった。 彼の自宅に到着し、彼のフィアンセでもあるKariさんが出迎えてくれた。やさしい顔立ちに金色の髪、話し方も穏やかでとても美しい人。 Kari Kristiansen いかに私がブラオーの音楽に惚れ込んで、探して探して、という話は、事あるごとにTorbjornには話してきたけれど、Eメールではなくて直接に本人に話すことがこんなに緊張することだと初めて知った。 今目の前にいるTorbjornに、これまでどれほどブラオーを探し続けて聞き続けてきたか、を話すと、「ああ、もちろん全部覚えている。だから君はスペシャルゲストなんだ。」と満面の笑みを返してくれる。その後も、Blind Orphansの名の由来、アルバムジャケットの出典元の画家のことなど、すべてブラオーの謎を解く!な夜になった。 Kariが作ってくれた料理も最高だった!なんて新鮮で美味しい魚、野菜。家の中もアンティークがたくさんあって、実にカッコいい!映画のセットのような部屋だった。そこで夜が更けるまで、ブラオーの話を交わした。なにもかも夢のような時間。一日目の晩は、シアワセな空気に包まれて寝床に着いた。 二日目はTorbjornが私たちを市内観光に連れて行ってくれた。大聖堂跡や内海(うちうみ)とも称せられるミョーサ湖、ゴミひとつ落ちていない、メープルの落ち葉に包まれた美しいハーマルの街並み。 帰宅後、これまた強烈な出来事。Torbjornのトレーニングルームで、目の前でドラムプレイを披露してくれた! 10以上のシンバルに10以上の太鼓、ツインペダルも駆使して全部の音が至近距離でいっぺんに耳と目に飛び込んでくる。まさに15年前に私の全身をしびれさせたリズム。タイムマシンが目の前にあるような気分になった。 この晩は特別な料理だった。Rakfiskという、マスを腐らせた生の魚肉(これがまたすごい臭い(^^ゞ)、アクアヴィットという、芋を発酵させた40度の度数を持つアルコールを2大強烈食材として、パン、チーズ、サーモンなどなど、ノルウェーの代表的な食事をたくさんいただいた。Kariさんの娘さんたちとボーイフレンドも来てくれて、にぎやかで楽しい夜になった。 Rakfisk パーティ ボーイフレンドが「ボトルネックのかわりにディルドウでギターを弾いたバンド」の話をしだしたとき、「ディルドウ」ってなんだろ、パット・マクマナスが使ってたやつか?いやあれは「フィドル」だったっけ、なんかそれに似たものでカッコよさそうだな、と意味も分からないで話に絡み、みんなの爆笑を誘った。 「コーイチ、ディルドウを使いたいって!?じゃあTorbjornに聞いてみろよ」と皆が言うので、そのまんま彼に聞く。Torbjornいわく「知らないのか!あんないいものを!」と言う。う〜む、相当カッコいいものらしい。「じゃあ、私のバンドの名前を”Minor Mind”から”ディルドウ”に変えるよ」と言うと、とうとう皆は腹を抱えて笑い出した。Torbjornは「じゃあ、”タイニー(ちっちゃな)・ディルドウズ”でどうだ!」。皆は悶絶しているが、ディルドウズの意味がカッコいい楽器だと思ってるから、即座に「それにする!」と宣言した。 あとでディルドウの意味を教えてもらい、悶絶どころか気絶しそうになった。皆は腹をよじって笑っていた。そりゃ笑うわな!こんな風に、楽しい会話はいつまでも続いた。
10月の朝でマイナス2℃!
タイコが多すぎて写真に収まらない さぁ、お待ちかねの音出し。リハーサルでは、いきなり"In The Middle Of The Forest"をやりだした。 15年前の、ブラオーとの出会いがこの曲だったから、この時点ですでに私の涙腺は爆発。ボーカルのSvenやギターのRuneは本番に備えて抑え気味にやってたけど、私は大声で歌とギターソロとドラムのパートを声を張り上げて歌った。 リハを終えてコンサートが始まるまで、トルコ料理のレストランでメンバーと夢のような食事。その後は、メンバーはライブハウスに戻り、kariさんと私たちは彼女のお姉さん一家が住むマンションに向かい、パーティとなった。 たくさんの親族のみんなが集まっていた。ここではウォッカをいただいて、胃の中が火事になりかけたが、コンサートを見る前にくたばるわけにいかない。昨日のディルドウな話も飛び出し、ここでも楽しい時間が過ぎた。 驚いたのは、やはり皆が私のことを知っていたこと。Torbjornから聞いていたのかと思いきや、「今朝の新聞に載ってただろう。お前はここでは一番有名な日本人だよ、よくノルウェーまできてくれた。」と笑顔と握手とハグ。涙はウォッカだけのせいではない。 トルコ料理店で ライブハウスの開場の時間となり、親族一同はぞろぞろと会場へ移動。Kariさんもほかのみんなも、ブラオー解散後にTorbjornと出会っているから、ブラオー自体は今夜が初体験だったようだ。 リハーサルの時はガランとしていたロビーには、200人以上の人でごった返していた。前述のとおり、ローカルだけど新聞社が事前に「日本人が観に来る!」って載せてくれてたから、東洋人である私を見るや、この混雑を作り出している人々のほとんど皆が私に手を差し出すために近づいてくる。 「君のことは知ってるよ、新聞を見たからね。」 「ブラオーを世界中に知らしめた君のサイトも知ってる。ブラオーのビッグファンなんだろ。」 「よく日本からノルウェーへ来てくれた! ありがとう、楽しんでいってくれ!」 たくさんの握手とハグと笑顔。挨拶を交わした人すべてがカンペキにこのセリフだった。刺青だらけのライブハウスの警備のオニイちゃんもが笑顔でこのセリフで語りかけてくる。 「お前は誰だ?どうして東洋人がここにいるんだ?」と私に聞く人は一人もいなかった。おそらく全ての人に挨拶したと思う。思いを絶やすことなく追い続け聞き続けたブラオーのコンサートに来ることなんて夢以上の出来事なのに、さらにここにいることをみんな祝福してくれる。今日の主人公がブラオーであるのと同じくらい、日本から来た私を歓迎してくれている。人生最高の瞬間、味わったことのないビッグな鳥肌。 感謝してもし切れない。言葉が出ない。驚きで涙も出ない。 そうこうしているうちに、素晴らしきこのライブハウス、Hydrantenのコンサートホールから、鮮烈なサウンドが響いてきた。今回のブラオーの復活コンサートのオープニングアクトとしてエントリーしている、SONIC DEBRISが演奏を始めた。ホールへ行くと、すでにたくさんの人々でスペースは埋め尽くされている。一番後ろでビール片手に聞くことにした。 Sonic Debris 後にライブ終了後、ギタリストから「ようこそノルウェーへ! ブラオーはいいバンドだよなぁ」との挨拶をいただいた。君たちもとてもいいバンドだよ、こりゃもっと日本の皆の耳に届けたい、と心底思った。 彼らのステージが終わり、 再びロビーへ行ってまたビールをおかわり。もちろんまた皆と握手、ハグ、感激な会話の嵐。 とにかくもう、数え切れないほどの自己紹介をしていると、Kariが、 「ショウが始まるよ!場所をとっているからこっちにおいで!」 と腕をひっぱってホールに連れて行ってくれた。その場所が客席の最前列。うう、場所のキープしてくれてたんだ、なんて心遣いだ。 スタートと同時に、妖しげなキーボードの効果音が続く。ショウのオープニングはSEチックな展開だ。今回、唯一ブラオーのオリジナルメンバーではないのがこのキーボードのPal Olav Loftesnes。彼は有能なキーボーディストだが、オリジナルメンバーのLars Christian Narumが指の負傷で参加を断念したため、急遽二週間前にバンドへ加入。スタジオリハーサルをたったの二回だけして、今夜このステージいる。この彼のプレイがまた素晴らしかった。 そのキーボードが数分でとまるや否や、最初のその曲が始まった。 泣く子も黙る”In The Middle Of The Forest”。 ボーカルのSven Kaareはオープニング後のMCで、 「コーイチ、はるばる日本から、ようこそノルウェーへ!」(All The Way from Japan To Norway !!) と言ってくれた。もう胸が一杯で、汗と涙と鼻水と鼻血と失禁が同時に起きているような感覚。 どれだけ私が誇らしく、シアワセだったか想像して欲しい。ここにいる価値は、なによりも素晴らしい。ブラオーが俺の名を呼んでる! 15年間の思いがこの時間に凝縮されてる。神戸で初めて彼らの音が入ったオムニバスアルバムを手にした時、ここまで彼らに触れることを想像できなかった。 当時、インターネットさえない時代に、でも情報の少なさに負けず、魅せられた世界中のハードロックを探しあててこの耳に出来ていた自負が少なからずあったのに(Mausoleumレーベルでさえ!)、そんな自分があれほど探したのに、その断片すら見つけられなかった5年間は、思い起こせばやっぱり辛かった。 でも今、辛いことは目の前で全部溶けていく感じがした。 以降、彼らは余すところなく幻の(と言われるのが悔しいけど、)彼らのアルバムから全てを聞かせてくれた。特にバラードの”Distant Light”は実に身に染みた。これ以上泣けないのに、泣けた。16分を超える大作の”The Legacy”も、全てパーフェクトに再現していた。20年も前に作られた曲なのに、何にも色あせていない。時代がまだ彼らに追いついていないんじゃないか、とさえ思った。詳細はリリースが予定されている、この夜のライブアルバムとDVDで!。 素晴らしい時間は、素晴らしく「あっ!」という間に過ぎる・・・。 5 member of Blind Orphans ライブ終了後、すぐにバックステージに呼んでもらって、また新聞社の取材を受け、写真も撮ってもらって。記者は明日の朝刊の記事にしてくれると言ってくれた。「君はブラオーのビッグファンで、はるばる日本から来たんだからな!」 私、Sven Kaare 打ち上げパーティが始まって、死ぬほどビールを飲んだ。店の閉店時間には追い出されて、メンバーとその関係者ともども街を彷徨った。午前3時、マイナス五度ぐらいだったんだろうなぁ、脳みそが凍りつくかと思った。でもそんな時間もいとおしかった・・・。 ・・・翌日は、頭痛と耳鳴りで目が覚めた。そして、早くもお別れの日。オスロへの電車の時間は午後。それまで、食事と昨日の機材の片づけで、再びハーマルへ向かう。ピザ屋でブラオーのみんなや友達に会った。ライブのポスターにサインをしてくれた。ギターのRune Hansenは、私のことをブラオーの「最大ファン」と漢字で書いてくれた。Torbjornの話だと、彼のサインはノルウェーではみんな欲しがるよ!とのこと。 "The Big Smiling Boys" Torbjorn, 私, Sven Kaare, Rune とても大切な、私の愛したブラオーが手の届くところにとうとう自分自身来てしまった嬉しさと、でも去らなければならない時間の寂しさ。 刻々と迫る時間に、いままで体験したことがないような感情が沸いてくる。 その後、昨日のライブハウスで彼らは機材の片付けをし、それを横目で見ていた私たちは列車の時間に迫られて、とうとうここを離れることに。駅まではKariが送ってくれる。 だからここでTorbjornとはサヨナラだ。彼にはどう感謝の気持ちを伝えればいいのか分からなかった。ただ、ここを去るのがとても辛い、と。ホント言葉に出来たのはそれだけだった。気持ちは数百倍だったのに。Torbjornも目を赤くしてた。見えなくなるまで手を振った。 帰国は飛行機の怖さじゃなくて、寂しさでイヤになった。 そういえばTorbjornは、私が飛行機が怖いってことへのアドバイスも忘れずに言ってくれてた。 「君はヴァイキングの国へ来て、ヴァイキングの好む魚を食って、ヴァイキングの酒を飲んだんだから、もう立派なヴァイキングだ。ヴァイキングは飛行機なんぞ怖くない。だから君は飛行機なんて怖くないはずだ。」と。 心底私の飛行機恐怖症を心配してくれてた。なんて奴だ、どこまでイイ奴なんだ。 駅までKariが私たちを送ってくれた。女性だから気がひけたけど、でもお世話になった感謝の気持ちをこめて、頬を合わせハグして笑顔でありがとうを告げた。 だから、実は乗り込んだ列車の中では、涙が止まらなかった。 ・・・またきっと、彼らに会いに行く。 神戸であの曲に出会ったのは、自分でさえ分からなかった「縁(えにし)」があった、ということに他ならないから・・・。 幸せが実る瞬間はきっと人生にそう何回もこないだろうけど、一度でもあったとしたらそれは本当に幸せなんだ、という気持ちで胸が一杯になった。 今回の旅、正確には「旅」ではなくて、唯一の目標、ブラオーを見る!というライフイベントは、最高の形で「時間は過ぎる」という証拠とともに終わった。 翌日の朝刊に、メンバー達と私、Orimuhさんの写真が載った、と聞いた。「ブラオーのビッグファンが日本から来た!」と、デカデカと写真入りで。 わたしゃメンバーにダッコされてます((笑) ブラオーのリーダーであり、招いてくれたうえに衣食住まで世話になり、言葉や文化の違いや距離を超え、会った瞬間に10年来の友人として友情を分かち合ってくれたTorbjorn、共に精一杯、心からもてなしてくれた優しいKari、ブラオーとしてステージに立ってくれたボーカルのSven KaareとギターヒーローのRune、初期メンバーとしてステージに立ったベーシストBjorn、代役として120%の力を見せたPol Olav、そしてこの旅を一生涯の記念として焼き付けることが出来たことは彼女の助けがなければ成り立たなかったBig ThanksなOrimuhさん、なによりもブラオーのキーワードで集まったノルウェーのみんな(全員覚えてるぞ!)に、舞い戻った日本からビッグ・ハグと笑顔と、また会いましょうの気持ちを届けたいと思います。 ・・・ブラオー日記は、更新するたびに「このページが最高地点!」といつも思う。これ以上はないし、想像つかない、と。 でもまたこうして次の「期」を記すことが出来て、ホントにシアワセです。ひとつの音楽を追い続けるには相当の力がいるけれど、またそれ以上に多くの人たちの助けが必要で。 これまで記した「期」でも書いてきたとおり、多くの人たちの暖かい手助けなしではここまで辿り着けなかった・・・。 ブラオーを追いかけてそういう人たちに出会えるという二重の喜び。感謝し尽くせない。 I would like to thank and give a big hug to following people from bottom of my heart Thanks List Siri Malene Torgeirsonto Kariの娘さん。 まだ学生で、シティプランナーの夢を持ってる。美人でチャーミング。 Jenny Christine Torgeirson Kariの娘さんでSiri Maleneのお姉さん お母さんに似て美人。KariとSiriとJenny、三人並ぶと美人姉妹のよう。 Arne Christensen Siri Maleneの彼氏。 真面目そうな好青年。飲むとすぐ顔が真っ赤になってた。 Arve Langaard Torbjornの友人。 AC/DCのシャツ着てた。話しかけてくれて、ずっと気遣ってくれた優しい人。 Tor Sigvald Johansen Torbjornの友人。 地質学の仕事をしている。日本にとても興味があると言ってた。 Frode Lamoy Runeの弟でドラマー。ともにJack In The BoxやAutopulverで活動。 元TNTのメンバー。"Firefly"と"Transistor"アルバムで叩いている。 1999年のTNTのツアーで来日経験あり。 Bjorn Thomassen 初期ブラオーのベーシスト。今回のコンサートでステージに立った。 来日経験があり、大阪で迷子になったらしい。スシが大好き。 Pal Olav Loftesnes コンサート直前にケガのためステージに立てなくなったLars Christian Narumの 代わりにブラオーのメンバーとなった若きキーボーディスト。演奏カンペキ! Per Erik Jansen Rock Of Norwayの関係者。 Torbjornの今のバンド、Glowと、日本でもおなじみのWig Wamのプロモートをしている。 Jan Erik Sunde Sven Kaareのお兄さん。とても気さくで親切、ずっと気遣ってくれてた。 ギタリストでもあり、昔はダンスバンドを組んでいた。 Kjell-Arne Sunde Sven Kaareの弟。自らもJan Erikとバンド活動中。素晴らしいボーカリスト。 彼もずっと私の事を気遣って、声をかけてくれた。 素晴らしきSunde Brothers ! Sindre Sandaker Kariの甥っ子。ウォッカとチョコの飲み方を教えてくれた。プラット・ピットに似てた。 カンフーガールズというバンドのファン。シャイなのにお酒が入るとヤンチャ(笑)。 Elisabeth Lund Sven Kaareの奥様。リハーサル時に優しく語りかけてくれた美しい人。 彼女の優しい息子さんが、ライブ後にTorbjornが客席に投げたスティックを 記念に!とわざわざ私に届けてくれた。 Marit Dybsand Torbjornのお姉さん。前日に買ったばかりのモバイルカメラで写真を撮ってくれた。 笑顔が素晴らしい、可愛くて美しい人。 Unni Dybsand Torbjornのお母さん!手作りのしおりとハンドタオルのお土産をわざわざくださった。 「私のノルウェーのお母さんになってください」というお願いに「もちろん!」。 息子のショウをどでかいPAも平気で最前列で見ていた。 Kari Kristiansen Torbjornの彼女。アンティークが好きで、アクセサリーを作る仕事をしている。 一生の宝物、手作りの鎖のネックレスをプレゼントしてくれた。 常にリラックスできるように気遣ってくれた、全てにおいて美しい人。 Rune Lamoy ブラオーのギター。YAMAHAのレスポールを操るギターの達人。 ノルウェーでも名の知られた伝説のギタリスト。オーラがあふれていた。 Sven Kaare Sunde ブラオーのボーカル。15年前、私の耳にこびりついて離れなかった声。 今もまったく衰えていない!笑顔が素晴らしい男。 Torbjorn Dybsand ブラオーのドラムスにしてリーダー。 楽曲も全て彼によるもの。ドラムス、キーボード、ベース、なんでもこい。 今回の訪問に、どれほどお世話になったか。どんな感謝の言葉も十分じゃない。 ノルウェーの大切な友人、伝説のアーティスト。 誇り高きヴァイキング、最大ファン! ・・・俺はシアワセ者だ。 |
復刻期へ続く!