Minor Mind Maniaxe Majors

Minor Mind Maniaxe ! Presents

メジャーどころもございます!


 マイナ−好きは、メジャ−嫌い・・・とも限らないのだ。イイものはイイ! メジャーあってこそのマイナー。メジャーがなければマイナーも存在し得ない。
 日本では売れたのに本国ではゼンゼンだったバンドや、本国でバカウケだったのに日本じゃ誰も知らないバンドやら、何がメジャ−で何がマイナ−なのかわからないのが実のところでもある。





MOTORHEAD / Overkill / 1979


 元ホークウィンドのイアン”レミー”キルミスターが結成したモーターヘッドは、当時はバイカーやパンクサイドからの支持も受けていたハードロックバンドだった。リッケンバッカーのベースを弾きながら、頭より高いところにセッティングしたマイクにむかって叫ぶように歌うレミーの姿はフリークの憧れだった。
 このバンドはとにかく初期の3人編成のころがもっとも毒のある曲づくりをしていた。とりわけ「Overkill」アルバムは、そのタイトルチューンが最高の出来だ。イントロのリフをエンデイングにもってきて延々とリフレインが続く展開は後々のバンドにインパクトを与えた。
 すでに三人とも天(ひょっとしたら地獄)に召されてしまったが、誇り高き大英帝国が吐き出した毒のDNAはいまだ息づいている。








SAXON / Eagle Has Landed / 1982


 サクソンもいまひとつメジャーになりきれない永遠のB級バンド。NWOBHMの波にうまくのっかったと思ったら、いつの間にか沈没していたような感じだが、その後はメタル魂を失うことなくエネルギッシュに活動している。
 このライヴアルバムを含めて、フランスのCarrere Recordsからリリースした5枚目までが彼らの絶頂期の作品といえる。なかでも本作は、ピーク時の勢いがそのまま収められており、このころの数多いメタルなアーティストのライヴアルバムの中でも名作の部類に入る。








おお、Herman Frank(^^ゞ

ACCEPT

 私がメタルに目覚めかけていた80年初期に、イッキにタタキ起こしてくれたのがこのACCEPTだった。とにかくギタ−のリフがカッコよくて、センスの良さ、テクニックのうまさから聞けば聞くほどハマってしまうのだ。当時から小さいくせにカリスマ性が抜きん出ていたウド・ダークシュナイダーのボ−カルスタイルも他に類のないものだった。
 1985年、彼らの初来日の伝説の大阪公演なんて思い出すたびトリ肌モノ! ステ−ジからのバックライトで照らされた客席はほとんどがメタル男ばっかり、全員がつきだすリストバンドを巻いた無数の拳!(あのころは、今みたいに、ピョンピョン飛び跳ねるバカモノは皆無でとにかくヘッドバンギングの嵐、考えればステ−ジ見ずに床ばかりみてた!)、一音たりともはずさない完璧なウルフのギタ−、今現在でも他に味わうことのない大音量などなど、バンドも客もすべて完璧なライヴだったのだ。


Breaker「戦慄の掟」/1981
 タイトルチューンはライヴではエディットヴァージョンで、「レストレス&ワイルド」とひっつけてプレイされていた。それは今日でもメタルアンセム的な名曲、当時は日本でもシングルカットされていた。また、「Son Of A Bitch」(後に改題で「Born To Be Whiped」)なんて曲もあるがこちらは歌詞がかなりヤバイ!でもライヴでは客もフルコーラス歌ったもんだ、Take This!


Restless & Wild「レストレス&ワイルド」/1983
 これまたメタルアンセムチューンの「Fast As A Shark」が超強烈! これを知らなければメタルは語れない。ここで聴けるツインリードのギターソロはその後のメタル系アーティストに計り知れない影響を与えた。とくにドイツのメタルのアーティストの作品にはこれとそっくりなものがたくさんある。理屈ぬきでとにかく全身で聴くこと!


Balls To The Wall「闇の反逆軍団」/1984
 アメリカ向けのコマーシャルな作品、と位置づけられているが、やはり名作だ。ジャケットはともかく、(これはステファンの股間だそうな) A−1にミドルチューンをもってきて皆を驚かせた。この曲はプロモビデオもかなりメタルっぽくて、オンエア回数も多かったのを記憶している。


Metal Heart「メタル・ハート」/1985
 彼らの日本での人気はこのアルバムで確立された。初来日もこのアルバムのツアーだった。ウルフのクラシカルフレーヴァーが開花した作品。




 他にも、「ロシアン・ルーレット」もなんだかんだ言ってもいいアルバムだ。

 バンド終末期のウド&ヨルグ脱退、デヴィット加入&ケンカ脱退、ウド戻るもヨルグはいない=ギター1人なの?、ウルフ何考えてんの的アルバム作成、一人でギターソロはやっぱり寂しいなぁ的ライヴを披露ののち、そりゃウドはいやだろうてことで必然的に解散、、、のあたりは、往年のアクセプトを知る一人としては、心痛むことばかりだった。
 歴史は続き、元T.T.QUICKのマ−クを迎え、ウルフとピーターが中心となった新生ACCEPTは今も進撃を続けている。





TRIUMPH / Allied Forces「メタル同盟」 / 1981

 

 トホホな邦題だけど、トライアンフはカナダの3人組、欧米ではかなりの人気者だったが日本ではついにブレイクすることはなかった。私は多くのトライアンフ・フリークスと同じく、ギタリストのリック・エメットのファンだった。
 このアルバムのタイトルチューンは、3人で出してるとは思えない大音量のパワーメタル。トータルでみても攻めどころと引きどころのコントラストが実に魅力的なアルバム。
 リックはこのあと数枚のアルバムリリースの後、他の2人とケンカ別れ状態でバンドを去り、ソロアーティストへ転向したが、HR色は薄れ、AOR色の濃いブルーズフレーヴァーなアルバムを残している。残された2人は新しいギタリストを加入させてアルバムを1枚リリース。エッジのとがった曲が多く、リックの美しいメロディ要素のないハードな内容となっていた。





KROKUS / Headhunter / 1983

 

 クロークスは元ティーのメンバーが中心となって結成されたスイスのバンド。アメリカでは結構人気があって、スイスのバンドとしてはほとんど唯一、ワールドワイドな成功を収めた。当然日本でもアルバムはリリースされたが、アメリカのバカ売れに比べるとほとんど売れなかったのはトライアンフとならんで2大メタル不思議事項であった。。
 彼らのサウンドにはヨーロッパ臭さはなく、AC/DCクローンやらジューダス・プリーストクローンやらと評価されていたとおりの音づくりだった。本作ではロブ・ハルフォードとの共演である「Screaming In The Night」や、スピードチューンの名曲であるタイトルトラックなどが収録されている。また、後にエイジアやカトマンドゥなどに加入するマンディ・メイヤーなんて玄人ウケする人も在籍していた。





◎ウルトラメジャ−再考◎


 メジャーといえば、もっとメジャーがあるじゃないかっ! てことで、そんな人たちについて語ることにしよう・・・うう、ネタが尽きたかマイナーマインド!? いやいや、メジャーはマイナーの裏返し。マイナーものを追求するがあまり、メジャーものの知識が薄れては、マイナーものの存在価値も失われてしまうというもの。(と無理矢理正当化)
 メジャーがあればこそのマイナー、そのまた逆も然り。マイナーメタルの海を何年も漂い、久々に聴くメジャーものの心地よいこと。初心忘れるべからずの教えに則り今一度怒メジャーの世界に浸ってみる。

 ★ウルトラメジャー、怒メジャーものとは?★

 これからHR/HMを聞き始める人にはHR/HMを語るうえで知っておかなければならないバンド、すでに何年もHR/HMを聴いている人には、知らなければ人格を疑われるバンド。 いまさら知っとるわい!のお叱りもごもっともな完璧メジャーなバンドたち。中途半端はいけませ〜ん!

□音がいい!□
 メジャーは概してお金持ち、レコーディングにもお金は惜しみなく使われているのです。音の抜け、バランス、トラック数、プロデューサー、エンジニア、スタジオ・・・どれをとっても超一流。できあがった作品は売れに売れてバンドの鼻も除々に高くなっていきます。

□誰もが知っている□
 ・・・からメジャーなのですね。「俺さぁ、パープルが一番好きでさぁ」なんて恥ずかしくていえないマイナー通の方、勇気をだして「Smoke On The Water」をカラオケで唄ってみましょう。^^ ギター小僧だって最初は「ちゃっちゃっちゃ〜ん!」しか弾けなかったのです。

□もうやたら復刻されまくっている□
 音源的には実に簡単に入手できます。何回目の復刻なのか、オビだって何種類あるのか、テイク違いなのかどうか分からないくらい世間にでまわっています。

・・・と共通項をもつウルトラメジャーたち。やめればいいのに下記のとおりリストアップ。




◆RAINBOW◆

 完全にリッチーブラックモアの所有物。彼がいればレインボー、いなければレインボータイプの様式美バンド。歴代ボーカリストのタイプによって3世代的に区分されています。それぞれの世代のファンは互いに嫌いあっているという噂もあります。

 ちなみにレインボーはハードロック、というカテゴリーではありません。「レインボー」というカテゴリーに入るのです。

◇ディオ世代◇
 英国のロックンロールバンド、エルフにリッチーが加入してレインボーが誕生したのはよく知られた話。エルフのフロントマンがディオなのでした。のちに史上最強の怒メジャードラマー、コージー・パウエルが加入して「三頭政治」たら変な例えをつけられて、まずは日本でビッグになるのでした。くどいくらいの様式美、若い人たちに失笑をかられてもしかたないかもしれませんね。

〜Catch The Rainbow〜
 と聴いただけでくう〜っ、と目頭を押さえた方、もう立派な大人です。レインボー名曲中の名曲、ハンカチ持参で聴きましょう。

〜Kill The King〜
 北欧と日本のバントが好んでカバーするスピードナンバー。キーボードとギターのハモリは、後のバンドに計り知れない影響を与えました。

〜Stargazer〜
 レインボー、というよりコージーのための一曲。史上最強のドラムによるイントロ。1998年に彼が事故により天に召された時、世界中のラジオでこの曲がかかっていました。



◇グラボネ世代◇
 なんだなんだぁ、レンボーがキャッチ−になっちゃったぁ、とディオ世代を泣かせた世代。リキんだ唱法では世界一のボーカリスト、グラハム・ボネット(以下「グラボネ」)をフロントマンに据えての再出発。フィフティーズな彼のスタイルも賛否両論、話題となりました。

〜All Night Long〜
 グラボネが後に渡り歩くバンドに必ず連れていった名曲。ライヴではタイトルを連発したアレンジで披露されていましたが、後のジョー・リン・ターナーによって、女性コーラスを取り入れたアレンジを施されたりと、いじられまくった曲でもあります。この曲をスローにすると「Man On The Silver Mountain」に酷似することぐらいはみんな知っているけど口にはしません。

〜Since You Been Gone〜
 ラス・バラードの手による名曲。ディオ世代をますます怒らせてしまいました。リッチーのギターソロにも、それまでは見られなかったポップな感覚が伺えます。「ABBAが好き」発言も納得。



◇ジョーリン世代◇
 レインボーのフロントマンに色男はいらない、とこだわる貴兄にはおすすめできないボーカリスト、元ファンタンゴのジョー・リン・ターナーを迎えてアメリカンチャートへ再出発。この世代、史上最強のキーホーディスト、デイヴ・ローゼンタルに魅力を感じた「正統」な人も多くいました。

〜Can't Let You Go〜
 いきなり史上最強のキーボードによるイントロを持つ名曲。ボーカルは二の次、とにかくキーボード。

〜I Surrender〜
 これまたラス・バラードの曲。ディオ世代は確実に拒絶反応を示すも、良質のハードロックに違いはないでしょう。

〜Street Of Dreams〜
 なんと末期に生まれた名作「Bent Out Of Shape」からのヒットナンバー。地味ながらも深い味わい。







◆MICHAEL SCHENKER GROUP◆
 天才ギタリストの名を欲しいままにする失踪の名人。10代で実兄に誘われてスコーピオンズのメンバーとなり、UFOに加入後は溢れる才能をひたすら溢れ続けさせた爆発する名ギタリスト、または美旋律メーカー。
 試行錯誤ののち自らのバンドMSGを結成し「神」を名乗るも、すったもんだは日常茶飯事でアルバムを出すたびメンバーが変わった目まぐるしさはメジャーの悲しい性か。
 前述のグラボネさんやコージーも在籍していたMSG、元ロリー・ギャラガー・バンドのテッド・マッケンナなんていうしぶ〜い人もメンバーかとおもうとレイ・ケネディのような史上最悪のボーカリストも在籍してたりでよくわからない人脈です。元グランプリの
多毛男・ロビン・マッコーリを加え、頭文字がMなのをいいことにマッコリー・シェンカー・グループなどと調子よく名乗っていたりもしました。
 特に日本では現在30才以上のギタリストには神様扱いされていた人でもあります。グレコから出ていたフライングVマイケルシェンカーモデル(白黒のやつ)は必携品。いまだにArmed And Readyのイントロだけは弾けます、なんていう人も大勢いたりして。




〜Armed And Ready〜
 ボーカルはゲイリー・バーデン。やっぱり彼も後に渡り歩くバンドでこの曲を連れて歩いています。曲の方が嫌がっているという噂も^^;

〜Dancer〜
 アメリカン・チャートを意識した、不似合いに明るいポップナンバー。ボーカルはグラボネさんで、リキんだ歌い方は何故か安心してしまいます。

〜Into The Arena〜
 まさにマイケル・シェンカーの代名詞となる曲。メタル番組のテーマ曲にはもってこいです。

 結局マイケル・シェンカーはMSGとUFOとスコーピオンズをぐるぐると加入・脱退をくりかえす、 バター虎のような活動を続けています。来日公演中にブチ切れて帰国してしまうという、70年ライクな行動をとってしまうことも。とはいえ、音楽性はロックフィールドからは飛び出さない分、ゲイリー・ムーアファンのようにやきもきさせられることはないでしょう。
 神、と言われた男はこの後、すっかり廃れてしまうのかとの憶測を見事に裏切って、しっかり健康を取り戻し、マイケルシェンカーフェストと銘打って、歴代のボーカリストわ従えてのライブを敢行し、かつてのシェンカー崇拝者たちの涙をかっさらうことになるのです。

 






◆JUDAS PRIEST◆
ロブさん、どこにマイク突っ込んでんの(^^ゞ



 プログレ色の強かった英国のガル・レーベルからデビューを飾ったジューダス・プリーストもまた、その長い活動の歴史において数度のモデルチェンジを経験しています。その都度、旧派のファンを手放すも新しいファンを獲得し、現在でも現役バリバリでメタルゴッドの名を欲しいままにしています。

◇Sad Wings Of Destiny から Stained Classまで◇
 これまた特に日本での人気は凄かったようです。彼らのステージ衣装も今日のメタルを定義づけるレザージャケットではなく、白いひらひらのついた衣装を身にまといなんとも怪しいスタイルであったのです。ツインリードで構成された美しくももの悲しい旋律、はやくもカリスマ化しつつあったロブ・ハルフォードの他に類のない唱法など、仰々しい邦題をつけられるのにふさわしい活動を続けたのです。この時期の終末に作られた、
昭和のペインキラーこと「Exciter」は新しいメタルへの橋渡しとなりました。

◇Killing Machine から Defender Of The Faith まで◇
 それまでの旋律の構成の美しさ、プログレ的な展開はやや後退し、「Hell Bent For Leather」をもって、よりソリッドでアグレッシヴな曲調への変容をとげた時期。それ故、初期のブリティシシュ然とした曲調を好むファンを嘆かせた時期でもあります。つまりはSMショップでレザージャケットなどを買いそろえて「メタルはレザー!」を強烈にアピールしたころで、リフに次ぐリフかき鳴らし、聴いている方も首が自然とタテに振れてしまうのでした。
 「Point Of Entry」のような、恐ろしく地味な作品もあったのですが、「Screaming For Vengeance」収録の史上最強の流れをもつ名曲「Hellion〜Electric Eye」により、プリーストはそのメタルゴッドたる地位を不動のものとします。

◇Turbo から Painkiller まで◇
 シンセギターを取り入れ、レザージャケットを脱ぎ捨ててオシャレな衣裳に身を包む・・・。Turboリリースに伴っての3回目のフルモデルチェンジは、メタルゴッドといえどもかなりの批評を食らうことになります。曲のアグレッシヴさはそのままなのに「モダン」と位置づけられてしまっては、出すアルバムごとに批評は深まるばかりな時期となってしまいました。最後にはドラムマシンにその座を奪われていたデイヴ・ホーランドをクビにして、そんな批評をふき飛ばさんとリリースしたPainkillerアルバムがドイツ・日本を中心にバカ受け、まさに面目躍如たる活躍ぶりだったのです。

◇Rob脱退以降◇
 いかに変わり続けてきた彼らでも、これだけの変化は後先にないのではないのでしょうか。バンドのフロントマンにしてカリスマ的存在、ロブ・ハルフォードが脱退してしまいました。
 モノマネチックなボーカリストはあちこちいますが、彼の後を引き継げるボーカリストなどいると考える事自体、
ロブを超えるボーカリスト?、そんなこと言ったら笑われちゃうよ〜ってな感じでしたし、事実、おかしなソロアルバムをリリースしたグレン・ティプトンや、ロブと他のメンバーとの確執、いつまでたっても決定しないボーカリストには、正直プリーストもこれまでか、とどれだけの人が思ったことでしょう。
 結局後任にはアメリカ人が決定し、ヘヴィネスを強調したアルバムをリリース、案の定だめだこりゃ、の烙印を押されかけるまで至ったのですが、そんな土壇場に来て百聞は一見にしかず、来日公演で新しいボーカリストはその人間離れした声量であらゆる世代のメタルゴッドフリークを圧倒しロブのカリスマ性への近づく可能性を大いに見せつけてくれました。
 しかしながらなんだかんだでロブが復帰し歴史は続くのですが、KKとグレンが一線から退くなど、常に目が離せない存在となっているのです。

 




◆DEEP PURPLE◆

 おそらく世界一信奉者の多いハードロックバンド。間違いなくジョン・ロードのバンドであって、R.ブラックモアはあんなに目立ってはいけない。メンバー同士仲が悪いのにどうして長続きできるのかは永遠の謎でもありましょう。単に英国のアートロックバンドであったところから、ロッド・エバンスに代わってのイアン・ギランの加入とリッチーのギター開眼をもって希有のハードロックに転向、日本のGSにまでその影響力は及んだのでした。

 また、デヴィット・カヴァーデイル(以下「デビカバ」)やトミー・ボーリン在籍時は埃っぽくて土臭いバンドになったりするなど、メンバーチェンジにより音楽性をここまで変えたビッグなバンドもめずらしいのじゃなかろうか。それでも後世に残る名作を残せたのも、エゴのかたまりが生み出した奇跡だったのでしょう。
 
とにかくヨーロッパ中のバンドに影響を与え続けたバンドでありましたが、とりわけ日本人とディープ・パープルとの縁はある種くされ縁といえましょう、と思っているのはじつは日本人だけなような気もします。ブドーカンを世に知らしめ、東京の女と唄われ、アルバム制作のたび律義に来日公演、日本人はこういうバンドにはメロメロなのです。きっと。

 ほんとのディープ・パープルは、イアンギランが最初に抜けた時点で終わりなのか、デビカバのラストで終わりなのか、再結成し2枚ほどアルバムをリリースした後再度イアン・ギランが脱退した時点で終わりなのか、いやいやまだ終わっていないぜ、なのかは人により違いはあるけど、どれも正解で、どれも間違いであるとは思いませんか?

 なにより言えるのは今存在しているディープ・パープルはいったい第何期なのかを知っている人が少ないことと、何枚のブートが存在するのか、正規盤のライブアルバムだって何枚あるの?それで今じゃいくら良質なアルバムを作っても、30才以上のリスナーには受け入れられないバンドだということでしょう。
 
 ジョンが亡くなり、リッチーもいない今、でもディープ・パープルはずっとディープ・パープルなのです、日本人にとって。
以下、名アルバムをご紹介。



〜In Rock〜
 ハードロックの夜明けを告げた名作。「Speedking」でリッチー爆発。

〜Machine Head〜
 日本人が異常に好むアルバム。ちゃっちゃっちゃ〜ん、の「Smoke On The Water」は実は歌詞が下らなかったりします。また、「Highway Star」のソロはジョン・ロードがメインです。彼のバンドだから。

〜Live In Japan〜
 日本人が真っ先に誇らしげに掲げるアルバム、または海外のアーティストが「日本ってどんなイメージ?」と聞かれたとき、必ず引き合いに出すアルバム。海外ではMade In Japanの名でリリースされたことは知っておかなければなりません。大阪フェスのステージも収録。メタリカ初来時、ラーズは大阪フェスのステージに敬意のキスをしたそうな。

〜Burn〜
 いまやカラオケにもなっているスタンダードナンバーをタイトルにした名作。ライヴではグレン・ヒューズがぎゃーぎゃーとうるさい曲でした。

〜Parfect Strangers〜
 期待に反して再結成ディープ・パープルはすばらしいアルバムをリリース。プロモビデオも制作、しばらくは喧嘩もせず積極的に営業活動をこなしてました。